真島元之建築設計事務所

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エッセイ 2002.4~2010.1

屋根の上の坪庭?

家の上の方をよく見てみると


 密集している住宅街にも、庭はほしいもので、よく見るといろんな工夫がしてあることに気付きます
 命名してみました

 <屋上の釣り堀>
  
 酸素を送り込んでいる大きな水槽が3つ据え付けてあります

 <空中盆栽品評棚>
  
 バルコニーだけでは足りず、屋根まで進出してきた盆栽が棚状に飾って?あります

 長屋で住む人たちのちょっとしたオモシロ知恵を発見しました  (2009.7.8)

川が京都大阪間の主要な交通網だったころ

枚方の宿


 
 鍵屋/今は資料館として残っています

 淀川の水運は木津川を経由すれば奈良の都へ、桂川を経由すれば京の都へと続く、日本の中心と各地を結ぶ重要な交通手段でした
 中世の淀川には、河口から京都までの間に通行料を徴収していた関所が600あまりあったようです
 江戸中期には、1日千艘もの船が往来したといわれ、中でも、伏見・大坂間の旅人を乗せた三十石船は、さまざまな物語などに登場する淀川の名物でした
 鍵屋は江戸時代に東海道(京街道)の宿場町だった枚方宿で、三十石船の船待ちの宿として栄えました

  
 (左)街道側の鍵屋正面
 (右)街道から裏の淀川へ抜ける土間トオリニワが続く/土間脇にはカマヤがあります

  
 (左)淀川の方から見る/昔は堤防はなくすぐ川に面し、ここから船が出入りしていました
 (右)宿内まで船が入ってきていました 資料館に展示してある模型です

 
 63畳の大広間は昭和3(1928)年に建て替えられた際に設えられました

 かつては鍵屋の裏は淀川が迫っていて、鍵屋浦として船の出入りがあったようです
 川を行く三十石船には、岸から客引きの三味や太鼓の音色が聞こえ、また、餅や酒を売る くらわんか舟 が近づいてきたようです

 「鍵屋浦には碇(いかり) がいらぬ  三味や太鼓で船とめる」

 と三十石船唄でも唄われていました
 しかし、明治以降、鉄道や蒸気船の登場によって三十石船は衰退します
 さらに、京阪電車の開通で汽船業が下降していきます
 こうした時代の状況に合わせてさまざまに変化してきた鍵屋ですが、平成9年まで料亭として営業してきました
 現在は市の文化財として母屋は文化8(1811)年の姿に復元され、昭和3年建築の別棟も資料館として生まれ変わっています
 淀川は整備され、府道京都守口線ができて、鍵屋と淀川も完全に分断されています

 川と結びついていて、くらわんか船の威勢のいい売り子のかけ声など、にぎやかだったころの鍵屋を体験したくなってきます

 
 和室の照明器具にも鍵屋のトレードマークが  (2009.6.30)

インディ・ジョーンズ的お参り

磐船神社の岩窟めぐり


 
 岩石を背景に社殿が建っています

 京阪枚方市駅よりワンマンカーの交野線に乗り換えて私市(きさいち)で降ります
 駅からハイキングコースを楽しみながら約1時間、磐船神社に着きます
 社務所で行衣(しろたすき)を借りて岩窟の入り口へ行きます

   
 (左)岩窟めぐりの入り口 (中)岩石の間を縫っていく参道? (右)大きな岩が天井に

   
 (左)丸太の橋をかがんで渡ります
 (中)「足から」の標示があるように狭い岩の間に足から体を滑り込ませます
    岩群の底には川が流れ、暑い日でも岩窟の中はひんやりしています
 (右)岩窟奥には祠が祀ってあります

 磐船神社の岩窟は古来より神道家や修験道の行場と知られていました
 特別な行法を知らない人でも岩窟めぐりをするだけで行になるといわれ、現在は一般の人でも拝観できます  (2009.6.21)

都会の打ち水

現代に生かされるむかしの人の知恵


 
 大阪市庁舎前では今年も噴霧器が設置されました

  
 (左)暑い中、気分的にも涼しくなります (右)植栽帯のパイプからミストが発生します

 大阪市は夏の暑さ対策(ヒートアイランド対策)として数年前からミスト散布を実施しています
 今年も早や、装置が稼動していました
 植栽帯に設けられたミスト発生装置から人工的に霧を発生させます
 水が蒸発する際に周囲の熱をうばう現象を利用して気温を下げようとする試みです
 霧状にすることで涼しさを感じますし、水が濡れたようなべたつきもありません

 よく考えれば、むかし各家々の前で行っていた打ち水とおんなじ原理ですよね
 暑さを和らげるため、玄関先の通りに水を撒いたものです
 その通りもアスファルトで覆われ、かえって周囲の温度を上げてしまうため、こうした風景も見かけなくなりました

 単純なシステムながら、現代に生かされているのを見て、先人の知恵に学ぶことは多いと感じています (2009.6.19)

明治の遺構

大阪を守ってくれた毛馬の第一閘門


 
 閘門前扉/現在閘室は埋められ公園になっています

  
 (左)閘門後扉 (右)手動の閘門開閉機が残っています

 大阪淀川河川公園の一角に明治40(1907)年に建設された 毛馬第一閘門(けまだいいちこうもん)が残っています
 閘門とは、水位の高低差がある河川で船を安全に通過させるための施設です
 水位差のある川を2つの扉で仕切り、その中の船を入れて扉を閉めて、扉と扉の間(閘室)の水位を出口側の水位と合わせた後扉を開けて船を進める、といった施設です
 世界最大の閘門式運河はパナマ運河です

 明治29(1896)年、洪水被害を避けるために淀川改修工事が行われました
 その際、付け替えられた新淀川と大阪市内へ流れる旧淀川(大川)の間に生じた水位差をコントロールするために設けられたのが毛馬閘門です
 大正7(1918)年、旧淀川の水位調節のために毛馬第二閘門がつくられ、現在の毛馬閘門は、淀川大堰と併せて昭和49(1974)年に完成しました
 その2年後の昭和51(1976)年、毛馬第一閘門はその役割を終えています
 現在毛馬第一閘門は公園化されていて誰でも自由に観ることができます
 大阪を守ってくれている産業遺跡がこんなに身近に観れるのです

  
 鋳鉄のアーチ、煉瓦・石積みなど今も残るディテールは明治の構築当時の痕が見られます  (2009.6.18)

神戸シネマパラダイス

観客の目線の映画館


 
 湊川公園の下にあるパルシネマ

  
 今年のオールドファンの目玉はチャップリン特集でした

 神戸新開地の小さな名画座パルシネマは、いまや数少なくなってきた名画館の一つです
 映画は自宅で観るのもいいですが、大画面で集中できる空間で観るのがやっぱりいいです
 パルシネマが選ぶ作品は、あまり知られていない佳作や観客に見てもらいたい昔の名作を映したりと、映画好きが選んでるのがよく分かります
 先日もチャップリンの特集を組んでいました
 客席には女性専用シートもあり、冷房が寒いときには毛布を貸し出してくれます
 また、映画が始まる前に支配人自ら観客の前に出て、映画を観るときのマナーや一押しの次回作の予告をお知らせします
 幕間の休憩時間にはロビーで観客に気軽に声をかけてくれます
 毎月発行される手書きのかわら版では、客の意見に答え、相互の交流を大切にしています
 アットホームな居心地のいい映画館です
 安心できて、女性一人で来ているお客さんも多いのです
 上映作品に興味がもてるのはもちろんですが、こうした観客への気配りに接して、また観に来ようという気になります  (2009.5.25)

これって・・・?

造幣局で見つけた珍種


  

 これは何の花だかお分かりになります?

 先週、大阪造幣局の桜の通り抜けに行ってきました
 そのとき咲いていた「御衣黄」という種類の桜です
 遠くから見ると葉桜のようにも見えるんですが写真のとおり花が咲いています
 桜はピンク・・・そんな先入観をもっているとなかなか気づきません
 自分も初めて見ました
 花びら、葉の形、花弁、ディテールをよくよく見ると桜ですね
 黄緑の桜も美しいものです

 何事も新鮮な眼をもってよく見なければ本当の姿は見えません  (2009.4.21)


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