真島元之建築設計事務所

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エッセイ 2002.4~2010.1

河川敷にたなびくピンクの雲

八幡市の背割堤


 
 橋の上から見ると桜が宇治川沿いに遠くのほうまで続いて見えます

 大阪天満橋は桜の通り抜けが有名ですが、京都八幡市ではじめて見た桜も見事でした
 木津川と宇治川を分ける背割堤1.4キロメートルに、約250のソメイヨシノが咲き誇っています

  
 堤から垂れ下がった桜がトンネルとなります

 こうして現代の私たちが桜の花を楽しむことができるのは先人が植えて育ててくれたおかげです
 私たちはこの財産を次の世代に継承していかねばなりません
 環境(自然)は破壊するのは案外たやすいですが、つくるのは気長にやらなければできない時間のかかるものです

 景観づくり、都市計画には先を見据えたビジョンが重要です  (2009.4.8)

歴史が残る東高野街道

旧街道に建つ赤い建物の正体


 
 東街道には石の道標が立っています  歴史を感じる建物が残ります

 東高野街道は、京都から高野山への参詣道として用いられた街道です
 かつて京の旅人は桂川・宇治川を下り、八幡を起点に高野山へ向かったといわれています
 起点の八幡近辺の東高野街道を歩いてみました
 街道沿いに石の道標や格子のある民家、しっくい塗りの蔵が立ち並び、かつての面影を残しています

   
 平(ひら)面(棟と平行な面)を見せた典型的な形態/平屋で格子があり虫子窓が見えます
 その形状はいろいろ

   
 蔵をもつ民家、妻面を見せている民家、2階建ては比較的新しい?

 白、黒のしっくい、こげ茶色の板壁など落ち着いた色合いで統一された街並みと思いきや
 そんな中、壁面を赤く塗られた建物を発見しました
 祇園や島原に残ってる同じような建物を見たけど、お茶屋さんかな?

  
 街道でひときわ眼を引きます

 実は稲荷神社でした
 鳥居をくぐってを引き戸を開けると玄関があり、民家と同じようなつくりです
 この神社、「泥松稲荷大神」というんですが、その由来を調べて見ると
 「どろ松」は、近くの祠に住み着いていた、いたずら好きの狸の名前のことらしいです
 いたずらが過ぎて村人にお仕置きされて弱ってうずくまっていたところ、もみじ寺の庵主様がこれを見つけて看病されました
 元気になったどろ松は庵主様について一緒にお祈りするようにまでなり、その死後、祀られたのがそもそもらしいです
 通常、お稲荷さんにはキツネが相場ですが、狸を祀っているのも珍しいものです

  
 近くに福祉バスのキュートな看板も見つけました  (2009.4.2)

またひとつ姿を消す昭和のおもいで

京阪特急のテレビカー


  
 京阪特急にはテレビを備えた車両があります 最新型の車両では乱れもなく映像はきれいになりました

 京阪電鉄が11年までにテレビカーから、テレビをすべて撤去するというニュースを見ました
 子どものころから京阪電車を利用していて、電車にテレビがついているのが普通のように思っていましたが、これって全国的に珍しいことなんですよね
 手持ち無沙汰の車中では、大相撲や高校野球の中継なんかを見るためにわざわざテレビカーを選んで乗っていました
 電波状況が悪くて映像が乱れたり、停止したり、いい場面を見逃すこともありました
 が、先日、久しぶりに見た新型車両でのテレビは、デジタル化され液晶画面になっていてきれいな映像でした

 テレビカー廃止の理由はワンセグの普及等で役割を終えたということらしいです
 テレビが出だしたころ、街頭テレビのプロレス中継に町の人たちが集まって力道山をみんなで応援したという昔のニュース映像を見たことがあります
 しかし今や、先に盛り上がったWBCじゃあありませんが、街頭(車中)テレビでみんなで応援するんじゃあなくって個人個人が手の中にある小型の受信機で楽しむことに変化するのは仕方ないんでしょうね
 もう見れないかと思うのと、連帯意識や団結力のあった社会が個人主義に分断していくような気がして少し寂しい気がします

  
 音量のスイッチのオン、オフは座席の壁のスピーカーで行います  (2009.3.28)

日本三大大仏

能福寺・兵庫大仏


  
 住宅地の中に不意にその後姿が見えました  前面道路からもお姿が見えます

 奈良、鎌倉に次ぐ大仏が兵庫にあります
 明治初年、太政官布告により神仏分離令が発せられ廃仏毀釈により仏教界は壊滅状態となりました
 この時、兵庫の豪商南条荘兵衛の一大発願により巨大な盧遮那大仏が建立されました
 以来、奈良、鎌倉とともに日本三大大仏に数えられました
 先の大戦の敗色濃い昭和19(1944)年、金属回収令により一時その姿は消滅しました
 平成3(1991)年5月多くの市民の強い要望により、市内の有力企業多数の協賛を得て、47年ぶりに再建されたのが2代目の現在の大仏です

  
 身丈11m、重量60t、蓮台、台座あわせると18mの高さです  耳の長さは2.1mです

 民衆の力で再建された大仏が青空の下、兵庫の町を見守っています
 また、周りからそのお姿を拝めることも住民の心のよりどころとなるのでしょう
 これから先、周囲の建物が高くなって大仏が埋もれないことを願っています

  *能福寺/JR兵庫駅から南へ徒歩10分  (2009.3.22)

現役の明治の駅舎

浜寺公園駅かいわい


  

 南海本線 浜寺駅は明治40(1907)年、海水浴客に対応するために建て替えられました
 木造平屋建て、白木、白壁造りの洋風建築で、わが国で現存する最古の洋風駅舎です
 設計は東京駅などの設計で知られる日本近代建築の草分け、辰野金吾博士です

 
 東京駅/辰野金吾設計の煉瓦造駅舎です

 屋根の窓や装飾柱など美しい見どころいっぱいです
 待合室も木製に白い塗装がなされていて今でもモダンな印象を受けます

   
 ホームにある木製の待合室はノスタルジーを感じさせます
 東出口の駅名のロゴもレトロな味わいがあります

 浜寺一帯は、大正~昭和初期に作られた有数の海浜別荘地のひとつでした
 その名残りが駅の東側に見ることができます
 数寄屋造りの豪邸や洋館など豪壮な邸宅が立ち並んでいます
 特に近江岸家住宅・外塀(非公開)は、昭和9(1934)年にウイリアム・ヴォ-リズによって設計され、登録有形文化財となっています
 赤い丸瓦に煙突が眼を引くスパニッシュスタイルの木造2階建て住宅です
 近江岸家住宅に限らず、街路と住宅地との境界には木製の板塀や生垣が施されていて、良質な住宅地を形成しています
 緑が豊かに感じられるのは、個人の住宅が植えている樹木のおかげです
 美しい街並みは、この町を愛している住人によってつくられていることがよく分かります

  
 ヴォーリズ設計のスパニッシュスタイルの住宅

   

   
 街路との境界の塀、生垣/古くから残っている植栽や板塀はよくメンテナンスされています  (2009.3.21)

北野天満宮

梅見


  

 菅原道真公が祀られている京都 北野天満宮は、梅の名所でもあります
 境内の梅苑一円には約50種類、2000本が咲き競っています
 梅苑西側に隣接する「御土居」下は、昔より市内唯一の梅園でした
 御土居とは豊臣秀吉によって京都の都市整備の一環として京都四周に巡らされた土塁のことです
 外敵の来襲に備える防塁と鴨川の氾濫から市外を守る堤防として天正19(1591)年に築かれました
 そのほとんどは江戸時代に取り壊され北野天満宮の御土居は今なお残っている数少ない重要な遺構です
 この御土居下を流れる紙屋川の沿道沿いに白梅、紅梅を楽しむことが出来ます

 一重、八重と咲き誇る梅には、桜とは違った落ち着いた趣きを感じます

  
 白梅、紅梅さまざまな種類の桜が楽しめます  御土居下 紙屋川沿いの梅

 
 梅苑ではお茶と麩焼き煎餅をいただけます  (2009.3.2)

京阪の不思議駅

ホームと樹木が仲のよい駅


  
 ホームの屋根から樹木が顔を出しています  対面のホームから見る

 京阪本線に不思議な風景の駅があります
 ホームの屋根から大きなクスノキが顔を覗かせている萱島(かやしま)駅です

 この大クスノキは、高さ20m、幹周り7m、推定樹齢700年、昔から萱島の大クスノキとして親しまれてきました
 昭和47年に京阪電鉄が高架複々線を建設の際に、地元の人のクスノキへの尊崇の念に応えて残すことに決めました
 駅を建設して、クスノキを残す、両者を活かすことから、樹木がホームの屋根を突き抜けるという斬新な形が生まれました
 新しい建物建設のためには自然破壊もやむを得ないという経済成長期において、地元に対しても、長生きの樹木に対してもやさしい選択だったと思います
 経済優先環境破壊から環境保護へ、現代にも通じる問題を解決した例の一つです

 現在、風に揺られながらホームに陰を落とす樹木は、ユニークな形をとりながらも、ホームにとけ込み、乗客を見守っているようです

  
 大きなクスノキがホームの屋根を突き抜けています  (2009.2.19)


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