真島元之建築設計事務所

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エッセイ 2002.4~2010.1

駒井家住宅

今なお上品な佇まいの洋館


 
 アメリカン・スパニッシュ様式の外観です

 京都市左京区白川疎水沿いに米国人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の個人住宅があります
 京都帝国大学理学部教授であった駒井卓博士の住居として1927(昭和2)年に建てられました
 現在は財団法人日本ナショナルトラストに寄贈され、一般に公開されています
 ヴォーリズは滋賀県近江八幡市に事務所を構え、関西学院大学や同志社大学の学舎を設計した建築家でもあります

  
 庭側は大きなテラス窓が設けられています   食堂からテラスに出れます

   
 居間/出窓風につくり付けられたベンチ  居間から南側にアーチ窓が特徴のサンルームに続きます

   
 階段室/縦長のアーチ窓、うねった手すり
 和室/和と洋が融合 2階サンルーム/比叡山側に開けています

 駒井家住宅が建てられた昭和初期、周りに家はなく、田園風景だったそうです
 2階サンルームの窓は、左大文字が見える方向に腰部分も開放的なガラスになっています
 建設当時と違って住宅が立ち並んでいますが、今も隣家の屋根越しに山並みを楽しむことが出来ます
 外観はヴォーリズ建築の特徴であるスパニッシュ様式ですが、屋根はスパニッシュ瓦でなく赤色の桟瓦葺きです
 これは駒井博士が日本の住まいであることを意識して注文したそうです
 現在、この地域一帯は閑静な住宅地であり、ヴォーリズと駒井博士が考えた住居は周りの街並みに溶け込み上品な姿を残しています

 
 塀の向こう、疎水沿いの桜を切り取る丸窓  (2009.2.7)

単伝寺

らくがきしてもいいお寺


 

 昨年、日本人がイタリア・フィレンツェの世界遺産、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の壁に落書きをしたことが報道されました
 文化財的建物を汚すなんてもってのほかですが、らくがきOKのお寺が京都八幡市にあります
 京阪八幡市駅から歩いて7分の単伝寺がそのお寺です
 境内に建てられた大黒堂の内部正面には蓮華の上で今にも駆け出しそうなユーモラスな像「走り大黒天」が奉られています
 お堂の周りの白い壁は黒いペンで書かれたらくがきで埋め尽くされています
 入学祈願、無病息災、家内安全、恋愛成就、商売繁盛など、いろんな願い事が書かれています
 書くと叶えられるといわれています
 岩清水八幡宮の足下にそんな風変わりなお寺を見つけました

  
 大黒堂  大黒堂内部/壁にはらくがきがされています


  
 八幡市駅前、創業明和元年(1764年)走井餅/茶みせ風情のある店内でいただけます  (2009.1.25)

謹賀新年~丑年

One World, One Dream


 
 みんなひとつのおんなじ夢を抱いています

 みんなの願いは安心して幸せに暮らせることです

  今年もよろしくお願いします  (2009.1.1)

千本釈迦堂

厄除けの大根炊き


 

 12月7日、京都北野天満宮すぐそばの千本釈迦堂(大報恩寺)へ行ってきました
 創建は鎌倉時代の安貞元年(1227年)、本堂(釈迦堂)は応仁の乱でも焼け残り、国宝に指定されています
 このお寺は、厄除けの大根が振舞われる「大根(だいこ)だき」でも有名で、私もこのご利益を授かりに行ってきました
 天気のいい日曜日とあって多くの人出で賑わっていました

  
 緋毛氈を敷いた腰掛けに大根をほおばる参詣者  大根を炊くのに大忙し

  
 大きな大根  まん丸な聖護院大根に梵字が書かれています

 境内には次のような悲しい言い伝えが残っている「おかめ塚」があります
 本堂の造営工事の際に、棟梁が大切な柱の頭を誤って短く切り落としてしまいました
 毎日憂いている夫に「ときょう」を施せば、という妻の阿亀(おかめ)の機転によって見事な骨組みが完成しました
 女の提言で棟梁としての大役を果たしたことが世間に知れては夫の名にかかわると、妻は上棟の日を待たずして自刃しました
 夫は、上棟の日に亡き妻の面を御幣(ごへい)につけて飾り冥福とお堂の無事完成を祈ったと言われています
 今でも上棟の際に行われる行事の意味をはじめて知りました

 
 おかめ像/その手には「ときょう」と大根がのっています  (2008.12.9)

東福寺 通天橋

秋に燃えるお寺


  
 樹木の合間から見え隠れしている通天橋

 京都東福寺はこの季節観光客でいっぱいです
 境内に植えられた紅葉のなかに入ると、その人気の高さもなるほどと納得もします
 季節の移り変わりをこんな風に目で実感できるのは、日本人に生まれてきたことのよさですね

 
 通天橋を渡るのに幾重にも観光客の行列が出来ています

  
 境内はだいだいや黄色の天井、黄緑のじゅうたんの空間に囲われます

 
 開山堂の庭もすばらしいです  (2008.12.1)

文禄堤

守口の宿


 
 美しい街並みを形成したであろう建物が見られます

 豊臣秀吉が毛利輝元・小早川隆景・吉川広家の三家に命じて整備された淀川左岸の堤防が「文禄堤」です
 文禄5年(1596)に改築が行われたためこう呼ばれています
 大阪と京都伏見を結ぶ最短陸路として東海道の一部に位置づけられました
 東海道57番目の宿場、守口宿として栄えたところです
 文禄堤は、度重なる淀川の改修などでその多くは姿を消しました
 街道沿いには数は少ないですが、往時の美しい街並みを想像させる建物が残っています

  
 格子のある民家、蔵が残ります

 
 民家を改修して写真館になっています 奇妙な形のウダツがあります

 
 ちょうちんやさん

   
 階段が取り付き、この街道が周囲より一段高いことが分かります かつて堤だった記憶を残しています  (2008.11.30)

淀川散歩

喧騒から離れた気持ちがいい川沿いの公園


  
 近所の人の憩いの場です 向こうに見えるのが赤川鉄橋


 大阪 城北公園を淀川の方へ出ると、気持ちのいい川岸に出ます
 天気のいい休日などは、家族連れやカップルが芝生の上にお弁当を広げてピクニック気分です
 土手の下に広がる「わんど」では釣りを楽しんでいる人の姿を見かけます
 わんどは淀川にみられる特異なものです

 明治時代、淀川は大阪から伏見までの水路として改修されました
 蒸気船が通るため、水路をくねくねと曲げて川の流れを緩やかにする計画をしました
 その水路が曲がっているところに水が当たって水路が壊れないよう、防御のために小枝や下草でできた堤「水制 すいせい」をつくりました
 やがてこの水制に土砂がたまって木や草が生えて現在のわんどの形が出来上がったのです
 わんどは水の流れがあまりないため、池などに棲む魚には暮らしやすい場所となりました
 天然記念物のイタセンバラは、淀川ではこのわんど周辺でしか見ることができません
 さまざまな生き物が好んで棲む生態系豊かな場所なのです

 交通量の多い城北通りから一本北に入ると、こんなに気持ちいい河岸公園があります
 休日にウォーキングするのにもってこいの場所です  (2008.11.4)


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