真島元之建築設計事務所

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エッセイ 2002.4~2010.1

三重県上野市

芭蕉の町~俳聖殿


 
 近鉄上野市駅から北へ5分ほど上って行くと上野公園があります。公園内には上野城天守閣が残り、忍者からくり屋敷や芭蕉翁記念館など観光の中心地となっています。
 そしてもうひとつお堂が建っています。これが俳聖殿です。
 プロポーションはなんだかちょっと変です。屋根が見たことのないような丸い形をしているせいかも知れません。高さは15mほど、屋根は檜皮葺き、下層は八角形、上層は丸形、一番上の屋根は丸く軒先は微妙に歪んだカーブを描いています。
 でも頭でっかちのこの建物は親しみをもてる愛らしさをもっています。それもそのはず、建物自体が芭蕉の立ち姿をかたどってるんです。丸い屋根部分が笠、その下は顔、下の屋根は蓑と衣を表わしています。
 実はこの建物、日本最初の建築史家である伊東忠太(1867~1954)が昭和17年(1942)、手がけた建物です。伊東忠太は、日本建築史はもとより、中国、ビルマ、インド、トルコ・・・の大旅行による東洋建築史の研究者として有名です。平安神宮(1893)、大倉集古館(1927)、築地本願寺(1934)など100を超える作品があります。
 その発想は、建築の源流を探すべく、いろいろな国を回って多くの建物を観察した上で培われたのしょう。

 *その他の上野の見所:芭蕉ゆかりの草庵「みのむし庵」、明治に建てられた洋風校舎「旧小田小学校本館」  (2002.5.3)

三重県松阪市

松阪市の古い町並みに見るやさしさ~御城藩屋敷


 元和5年(1619年)紀州藩に属した松阪は松阪城代役所をはじめとする出先機関が置かれました。
 松阪城の警備を任務とする紀州藩士とその家族の住居として文久3年(1863年)に建てられたのが御城藩屋敷(ごじょうばんやしき)です。
 現在残る御城藩屋敷は50~60mくらいの長さの石畳の通りに面して2列19軒の平屋の長屋建てで、一部は公開されていますが、その他は今も使われていて子孫の方々が維持管理しています。
 通り沿いは生け垣をつくっており、美しい町並みを形成しています。昔のままの屋敷の姿はこの御城藩にしか残りませんが、近所を散策していると同じように通りとの境界を生け垣にしている住宅を多く見受けられます。通りを歩くものにやさしい表情を与えてくれます。
 昨今は、都会ならずとも凶悪な犯罪が起こり、家の外に対する防御が強められるのはしかたがない面もあります。そんななか、このような緑豊かな表情は、内と外を緩やかに結びつけ、町行く人の心もやさしくしてくれるように感じました。

  
 城跡から見下ろした御城藩屋敷   緑が住まいの目隠しとなる

参考文献:御城藩屋敷パンフレット  (2002.4.26)


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