エッセイ 2002.4~2010.1
平野 全興寺
怖い、楽しいお寺
大阪平野の商店街にある全興寺/地獄堂の看板「ウソをつくと舌をぬくぞ」なかなかの迫力
大阪市平野は古くからの町並みの残る地域です
町を訪れると、町全体がこの町のよさを残していこうという取り組みをしていることがわかります
「平野町ぐるみ博物館」と称して、店先に歴史や伝統を伝える展示などをしています
見て回るのが楽しくなります
平野本町通商店街の中にも和菓子屋さんや新聞屋さん、呉服店など昔ながらの趣のある店が並びます
和菓子つくりの型の展示 新聞屋さん 色鮮やかな呉服屋さん
この商店街にとっても怖くてとっても楽しいお寺があります
全興寺です
1300年前、聖徳太子に由来する古いお寺です
入り口には「地獄堂」の看板が上がっています
境内には駄菓子屋さん博物館があったり、水掛け不動、マニ車、地獄の釜の音が聞ける岩、仏足石などなど
楽しみながら分かりやすく仏様の道を伝える仕掛けがあります
(左より)水掛け不動、ネパールより贈られたマニ車~手で回すとお経を1巻お唱えするのと同じ功徳あり、地獄の音が聞こえる岩も・・・
地獄堂にお参りしてるちょうどそのとき、近所に住むお母さん、おばあさんが子どもの手を引っ張ってこのお寺にやってきました
子どもは小学校3、4年くらいで泣き叫んでいます
「いやだよ~、行くのいやだよ~」
どうやら、この子どもが悪戯でもして、そのお仕置きにお母さんとおばあさんが地獄堂を見せに来たようです
とうとう地獄堂の閻魔さんの前まで抱えて来られました
子どもの泣き声は最高潮
涙を流して、この場から即刻逃れようとしています
閻魔さんと地獄の鬼
子どもにとってはこの場所は怖い存在なんでしょう
こうした怖いものがあってこそ、悪さもしないものです
昔はこんな風な迷信的なもので、恐れるものもあったものです
規範がなくなりつつある現代にこそこうした 「鬼」 的なものが必要なのかもしれないと感じます (2008.10.24)
岸和田の祝祭空間
祭りで住民がひとつになる町
山車に彫り込まれた芸術品
向こうから山車が来た、来た、来た~ だんじりが通る辻は「交通規制」がされます
だんじりが辻を駆け抜ける際塀や壁が傷つけられることも・・・花屋の看板はこのとき折りたたまれます
立入り禁止のテープは、事件現場みたい
この日は町のあちらこちらにはっぴを着ただんじりっ子があふれています
屋台で見つけた「だんじりくじ引き」 だんじりの模型が当たります
京都祇園さんの祭りに真逆なのが、岸和田のだんじり祭りです
どちらのお祭りも同じように山車が町を練り歩くのに、京都は「静」、岸和田は「動」です
祭りの日は岸和田の学校が休日になると聞いたことがあります
全国各地に散らばっている岸和田っ子もこの日ばかりは帰省して祭りに一肌脱ぐらしいです
最近までは町家の中に誰でも客人として招き入れ、もてなしたらしいです
岸和田のように町が一体になっている様子は、最近の住宅地には見られません
最近の新しくできた住宅地は、住民どうしの結束は決して強くないです
むしろ希薄で隣人の顔や名前も知らないのが普通になっています
みんながおんなじように汗をかいて、日頃溜まった思いを発散させて、なんと爽快な祭でしょう
人と人とが触れ合えるのがまたいいです
祭りがそれに対して一役買っているのが面白いです
女性も元気です (2008.9.29)
京都のろうそく
空から京の町を考えた
京都駅に行ったついでに久しぶりに京都タワーに上ってきました
展望台からは京都の町を東西南北見渡せます
展望台には40年ほど前の建設当時の展望台からのパノラマ写真が飾られています
今の様子と見比べて違いを探すことが出来ます
京都は世界遺産に指定されている町です
しかし伝統の瓦屋根の町家がずいぶん多く箱型のビルに建て替わっているのが分かります
以前、イタリア・フィレンツェの丘から街を見下ろした時のことが思い出されました
オレンジ色の屋根で統一されていて、とても美しい街でした
文化財に対する意識も国によって違うものです
まだ超高層ビルが少ないのが救いです
町を囲う緑の山々を愛でることができます
展望台は京都の町を360度パノラマが楽しめます 天井の扇風機が昭和レトロっぽい
上から見ると京都の町も瓦屋根がずいぶんなくなってきているのが分かります
変形の間取りに合わせてエレベーター室も台形です
エレベーターホール脇階段の下に舞妓さん人形がなぜだかひっそり立っている
(左)案外楽しめるコンピューター手相占い (右)地下には京都タワー浴場があります
マスコット”ゆる”キャラ/たわわちゃん (2008.9.13)
四天王寺詣で
お大師さん
毎月21日、広い境内が人でいっぱいになります 天王寺駅からの参道に早くも出店が並んでいます
四天王寺は弘法大師のご命日、 毎月21日は俗に「お大師さん」と呼ばれ、 境内に露店が並びます
食べ物屋さんや日常品、 骨とう品屋さんなどの露店が出ます
お参りに来る人にとって、こうした露店を覗くのも楽しみの一つです
ようやくお寺にたどり着きました 「転法輪」を回して願いごとをします
なで布袋尊/さながら四天王寺さんの”ビリケンさん”? ほてい堂の絵馬/子宝に恵まれるようです
フリーマーケットよろしく骨とう品屋さん、着物の端切れ屋さんがたくさん出ています
ところ天がうまかった!!
この日は五重塔最上階回廊も開放され登ることが出来ます
境内に入ると、願いを聴いてくれる、なでる布袋さんがいます
通天閣のビリケンさんのようにお参りに来る人になでられて光っています
法輪を回して願い事したり、お参りも楽しくなってきます
お堂の中には仏陀の誕生から涅槃まで分かりやすい壁面画で伝えられます
五重塔は開放されていてせまい螺旋階段を上って最上階の展望回廊に出ることも出来ます
信仰、宗教がエンターテインメントと交わった面白い1日を体験できました (2008.7.24)
ベンチでコンニチワ
ほほえましい仕掛け
東三国駅のベンチ
先日大阪市営地下鉄の東三国駅を利用しました
ホームで何かいつもと違う、違和感を感じたものがありました
それはベンチです
よく見かけるベンチはこうです
うちの最寄り駅の中津駅のホームです
ベンチは電車が来るほうに向かって座るのが良くある風景なんですが、東三国はベンチの向きを反対にしていました
人と人とが背中どうしを合わせるんじゃあなくって、向き合えるようにしています
ほほえましいストーリーが描けそうな気もします
でも前に座っている人と近くってちょっと気恥ずかしさはあるかな・・・ (2008.6.9)
大阪韓国グルメ
ソウルフードを味わいに行く
路上のお店の人と客のおばさん同士の立ち話ならぬ、すわり話
鶴橋商店街には人と人のふれあいのあたたかな雰囲気があります
通りにチヂミの屋台とベンチが出て、道行く人のファーストフード店になっています
大阪で1日韓国B級グルメを体験出来る場所があります
鶴橋商店街です
鶴橋といえば焼肉店が有名ですが、JR鶴橋駅をはさんでその反対側にこの商店街はあります
狭いアーケードに間口の小さい店が並んでいます
いくつもの通りが交錯していて奥のほうへ伸びていてさながら迷路のようです
迷路のようなアーケード街が奥まで続きます
色とりどりな布団や民族衣装がショーウィンドウを飾ります
休日のお昼ともなれば、商店街は近所の買い物客や観光客でいっぱいです
韓国料理で使う食料品、乾物、野菜や魚を売る市場、自家製キムチ、日用雑貨、カラフルな掛け布団やチョゴリなどの商店、まるで韓国の市場に来ているようです
店の人も気さくな人が多いです
店先のおばさんと話しながらいろんなキムチを試食したり、初めて見る韓国食材について教えてもらったりして時間を過ごすのも楽しいものです
人と人と触れ合えるあたたかい雰囲気を持った商店街です
商店街の中には、焼きたてのチヂミをその場で食べれる屋台や店先ののり巻き、トッポギ(韓国風もち甘辛味噌炒め)などオモニの手づくり料理を奥のテーブルで食べれる庶民的な店がたくさんあります
魚の市場/ホヤやアンコウ、チャンジャになる魚などが並んでいます
キムチ屋さんでは試食も出来ます いろんな種類のチヂミ、豚足、のり巻きを売る店先
お昼を食べに入った食堂の壁にチェ・ホンマン戦のK1のポスターを見かけた
昨今各地の商店街の客足離れが問題になっています
その解決策のヒントが鶴橋商店街に隠れていそうです (2008.6.1)
時代おくれなんでしょうか
壊される銭湯・大淀温泉
解体~それは突然やってきた
解体される銭湯を見ながら、映画「ニューシネマパラダイス」で古い映画館が壊されていくシーンと重なりました
1週間ほど前から近所の銭湯の解体が始まっています
ちょうど中津に引っ越してきた13年前、2つの銭湯が近くにありました
1つはすぐに住宅地に変わり、残り一軒残っていたのがこの大淀温泉です
お風呂のない長屋暮らしのころから利用していた銭湯が消えていきます
長屋が残っている中津も次第にマンションが建ってきています
各家庭に内風呂があるのが普通になっている今日、銭湯を利用する家庭も少なくなってきたでしょう
かく言う私も、風呂付マンションに移ってからは銭湯に行く回数は減りました
それでも小さい家庭の湯船とは違い大きな浴槽で手足を広げられて月に数回ゆっくりくつろぎに来ていました
最近行った時、混んでる時間帯かと思いきや貸しきり状態になっていたりと、客足が徐々に減っていたんでしょうかねえ
燃料費の値上がりと客の減少を考えれば難しい商売です
それを考えればこちらの都合で残してもらいたいとは言いがたいものです
つい先日、道頓堀のくいだおれ人形が姿を消すと聞いたところです
道頓堀で長年愛されてきたシンボルがなくなります
何でも食べれる料理をサービスしていた食堂が今の時代の合わなくなったとか・・・
2つの出来事が重なって、これも時代の流れなのかと思いつつも大切なものがなくなっていく気がします
くいだおれ太郎は人気者でした (2008.4.16)